HOME

 

書評

Stephen D. Parsons, Money, Time and Rationality in Max Weber: Austrian Connections, London: Routledge, 2003

『経済学史研究』47-2, 2005.12. 172-173.

橋本努

 

 

 評者はこれまで刊行した二つの著作(『自由の論法』と『社会科学の人間学』)において、主としてオーストリア学派とマックス・ウェーバーの思想を主題に取り上げてきた。またこの二つの体系的学問のあいだに理論的・思想的な接合点を見出しつつ、政治経済思想の新たな論理を探ってきた。しかし学説史の観点からオーストリア学派とマックス・ウェーバーの関係を精査するという作業は、依然として検討課題として残したままであった。本来であればこのテーマは私が引きうけるべきであるのだが、しかし一昨年、このテーマを鋭い切り口でもって検討した研究書が現れた。ウェーバーとオーストリア学派の関係を理論的な観点から跡づけつつ、さらに経済学の基礎概念を自由主義と反自由主義の思想対立の観点から精査した力作である。

 第一章では、ウェーバーの唯物論批判と限界効用理論批判が検討され、近代経済学に対するウェーバーの理解が、基本的にオーストリア学派に依拠しており、ワルラス的理論観とは異なることが明らかにされる。著者によれば、ウェーバーは、オーストリア学派の理論を基点にして、社会主義における計画経済を批判することができたという。

また著者は、オーストリア学派における「時間」と「不確実性」の理解が、ウェーバーにおける「経済的行為の社会学的範疇」と理論的に密接な影響関係があるとして、第二章ではこの問題を探究している。ウェーバーにおいてもオーストリア学派においても、経済的行為における「目的の定立」は、理論的に所与とされず、時間と不確実性の意義が重視されている。例えばウェーバーの方法は、オーストリア学派の始祖メンガーによる精密的方法と経験的方法の区別に従えば、後者の経験的方法を志向しているが、しかしウェーバーはメンガーから精密的方法における「不確実性」の意義を学ぶことによって、計画経済理論に対する的確な批判をなし得ている、と著者は指摘する。

第三章では、ウェーバーの社会主義批判を、オーストリア学派の理論史的発展の文脈に位置づけて検討している。もともとウェーバーの限界効用理論理解はメンガーに負うものであった。しかし、ウェーバーが社会主義を批判する文脈では、むしろベーム-バヴェルクの理論に負っており、また「富」や「資本」を問題にする文脈では、ベームよりもメンガーに負っていることが理論史的に示される。

 第四章では、ウェーバーの合理性概念が整理され、また第五章では、現代の哲学的行為理論を代表するジョン・エルスターが示したウェーバー理解を批判の俎上に載せている。エルスターは2000年に出版されたターナー編『ウェーバー研究のためのケンブリッジの手引き(The Cambridge Companion to Weber)』所収の論文において、ウェーバーの合理性理解を六つの観点から批判している。しかし著者は、そのどれもが妥当しないことを、とりわけ「道具的合理性」の概念的理解に着目しながら論じている。この議論の背景には、エルスターが信奉するマルクス主義と、ウェーバー的な自由主義のあいだの思想的対立があるために、著者の理論的検討は、現代の経済思想に貢献する意義深いものとなっている。

 第六章では、ウェーバーの貨幣理論が、とりわけハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』における貨幣理論との関係において比較検討され、貨幣経済に対する思想的立場の違いが、「目的をもった合理的行為」に対する両者の見解の違いを生み出していることが明らかにされる。この検討もまた、思想的対立と基礎概念理解の関係を問題化した秀逸な考察である。

最終章では、ウェーバーの社会主義批判が論じられているが、日本の読者にはすでに馴染み深いものかもしれない。むしろウェーバーとミーゼスの官僚制批判を比較検討したほうが、現代的意義をもったのではないか。